人から楽しませてもらうな!自分で楽しめ!

マナビノキから歩いて10分ほどのところにある浄明寺緑地に
弓矢をもって遊びに行きました。
竹を割って作った自分のオリジナル弓矢、そして作った的や風船。
それを森の中に設置して、弓矢で射抜いて遊ぶためです!
この季節は栗やドングリもたくさん落ちていています。
「あ!栗だ!ドングリもある!」
「縄文人はドングリクッキー食べてたんだよ!」
「今度作ってみたい!」
そんな風にフィールドワークをすると自然と「知りたい!やりたい!」が増えてきます。
よく、うちの子は「何に対してもやる気がない」「自分から率先して取り組まない」「身の回りのことにあまり興味をもたない」
などと相談を受けることがありますが、それは体験経験不足、フィールドワーク不足なんだろうなと思っています。
子どもは刺激的なことに惹かれます。
面白いことに惹かれます。
見たことないことや知らないことに必ず惹かれます。
でもその面白いことや見たことないことが、
自分が何もしなくても一方的に流れてくるものだったら、受け取ることができるものだったら、
それが当たり前になったり、それで満足感を得ていたりしたら、
さらには、それが常にないと耐えられなくなったり、刺激がある状態が普通になってしまったとしたら、
そりゃ誰だって無気力になりますよね。
自分が何かすること(自分の経験)と受けた刺激がリンクしていたら、
自分が起こしたアクションによって、何かが変化することを体感できたら
自分次第で何かが変わるんだ!ってやる気になるかもしれないけれど、
自分の「こうなりたい!こうしたい!」とおもしろい!楽しい!っていう刺激が離れたところにあったら、
それは、完全に受け身のエンターテーメントになってしまいます。
つまり、「やるきがある/ない」「興味がある/ない」「前向きに取り組んでいる/取り組んでいない」との違いは、
自分のやったことの先にエンターテーメントがあることと、
自分と全く関係のないことがエンターテーメントであることの違いかなぁと思います。
自分でちょっとでも工夫したり、自分が努力したりすることで、
「楽しかった!面白かった!」って思えること、刺激的な体験をすることが、
いわゆるその後の興味関心、好奇心、やる気につながります。
子どもたちは、自分が作った弓で、自分が取ってきた竹で、自分が作った的で、ちゃんと刺激的な体験はできるし、大興奮もできる。
ようは「遊ぶ」ってだけです。
自分の力で、自分の身の回りのものを使って遊ぶ。
色んな知恵を出し合って、「もっと楽しく遊ぶにはどうすればいいか?」「もっと面白く遊ぶにはどうすればいいか?」
ってむっちゃ考える。友達と知恵を出し合う。それだけです。
実際に弓矢で、しばらく遊んでいると
「せーのでみんなで弓射ってみようよ!」「的に誰が先に穴開けるか競争しようよ!」
「この小さい的1番に射った人が勝ちだよ!」なんていいながら、ルールや遊び方が生まれます。
それと同時に「矢を離すタイミングがコツだよね!」「狙っているところよりもちょっと下を狙うといいよね」
「膝を曲げるとうまくいくよね」とか、知識技能的なことも習得していきます。
そうやって遊びながら自然に習得したことが増えていく、それを繰り返す中で
それが自分の「好き!」とか「得意!」になっていって、やがて「自信」になります。
ま、ようは楽しいこと、楽しむことを人に期待するな!ってこと。
ただ単に受けるだけで、楽しむなんてそれは、自ら生み出した楽しみではない。
自分から始めて、自分の手で何かをして、自分の頭で何かを考えることが、
最終的には、自分が楽しく生きていけるようになるための方法だと思います。
結局は、大人も子どもも何を楽しいと感じるか、何をどう楽しむか?って話。
自分自身で楽しんだり、満足したりすることって意外と難しいのかもしれないなぁ。
知りたい!やりたい!のタネをマナビノキに育てよう!

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