無駄時間が必要な子供たち
今の子ども達を取り巻く世の中は、色んなことを便利にしていくという動きの中にいる。
情報化社会もそうだし、AIやロボットもそう。
無駄を無くして、効率、能率を上げていくことが目的になってることが多い。
なるべく楽に、なるべく早く、そうやって「時間」をつくろうとしている。
では、そうやってつくられた「時間」で何をしたいのか?
読書をしたり、文章を書いたり、音楽を奏でたり、散歩をしたり、
自分の好きなことに没頭できる時間、ゆとりある時間をつくって、
「自分の時間をつくりたい」そう思っている人は多いはず。
でも不思議なことに色々な物事は加速化している。
情報がすぐに手に入る中で、それならばとさらに情報を追ったり、
時間があるのであれば、とそこにさらに予定を詰め込んだり、
本来なら時間が生まれるはずなのに、
今の子供たちは、もっともっと詰め込んで忙しくなっているって言う気がする。
そんな環境の中にいるものだから、
子どもの中でも自然と「合理的なこと=いいこと」なっている。
子供たちの会話に耳を傾けていると「それって無駄じゃない?」みたいなこという子が多い。
あとは「それやって何の意味あるの?」とか「時間がかかりそうだから、めんどくさい」とか…。
そういう子達に会うたびに、こう言ってやりたい。
そんなこと言ってたらこれからの人生の半分以上「それやって何の意味があるの?」とか「無駄じゃない?」ってことだらけだよって。
「それやって何の意味があるの??」より「やりたい!」「やってみたい!」を大事にしたいし、
無駄だらけの中に、無駄じゃないものが小さな宝石の原石みたいにある。
そのうち、自分でたくさんの無駄を経験していくうちに、無駄じゃないものも見つけることができたり、
逆に無駄だったものが急に無駄じゃなくなったりもする、そんな感じがします。
この時代だからこそ、時間にせかされることなく
あえて「無駄」を堂々とやってみせられる子供たちになってほしい。
「知りたい!やりたい!」って思ったら、とにかくやってみたらいいと思うな。
知りたい!やりたい!のタネをマナビノキに育てよう!